Potato R2年12月号
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ふるさと談話�農業今昔� 「この赤い実は何?」「小さい柿なのかな?」来店される方から店頭に飾られている鮮やかな赤い実についてよく尋ねられます。これは〝赤茄子〟と言い、古淵地区の加藤實さんから観賞用としてご提供いただいたものです。今回はこの赤茄子についてご紹介します。 写真をご覧のとおり、一般的なナスには見えませんよね。実は赤茄子というのはトマトの異称なのです。ご存じの方も多いと思いますが、トマトはナス科の植物なので、ナスを接ぎ木する際の台木によく使われています。 加藤さんにお話を伺うと「9月から3月の間、軒下で乾燥させて種を取り、台木にして30〜40本くらいナスを育てています。赤茄子を台木にすると連作もできるし、丈夫に育つ。種取りからやっている人は珍しいと思うよ。遊びみたいなものだけど、楽しみながら育て、支店で皆さんに見てもらえてうれしいね」と笑顔で話してくれました。 山口稔夫支店長は「今年は行事やサークル活動が中止になり、寂しく思っていました。このように店舗を明るくしていただいて感謝しています。次は鉢植えの菊を飾ってもらえると聞いていますので、そちらも楽しみです」と話しています。 大正6年9月18日の日記に、相模軽便鉄道創立協議会と電燈試験点火の記述が見られます。 今回はこの記事をもとに生活を大きく変えた、新たな鉄道敷設と電力供給のいきさつを紹介します。 軽便鉄道とあるのは、現在のJR相模線のことです。菊太郎翁は、この日の橋本駅発11時の汽車で「京橋築地の精養軒に開く相模軽便鉄道創立協議会へ列す」ことになります。 この日に至る経過を日記にさぐると、2年前の大正4年11月には原清と鉄道の相談をしています。 翌5年の10月には茅ケ崎町の職員が説明のため役場を訪問しています。 11月には村の有志と協議し、6年1月には厚木で開かれた発起人会へ出席しています。4月には茅ケ崎町で伊藤町長をはじめ大沢村、溝村(上溝)、新磯村などの有力者等と共に創立委員会の相談をしています。 鉄道は大正8年に香川駅で起工式が行われは茅ケ崎〜寒川間は寒川〜厚木間が開通し、昭和6年に厚木〜橋本間が開通し、東海道線と中央線完成します。 相模線は、相模原の中央を南北に縦断し、北部を横断する横浜線明治41年開業と東部を縦断する小田急線昭和2年開業鉄路で、広大な相模野をめぐる鉄道網を完成させ、相模原発展の基盤となりました。 日常生活を大きく変える電力の普及は、東京市内では大正初年にほぼ完成しますが、相模原の様子は明らかではありません。 しかし相沢日記からは相原地区の普及の様子をうかがうことができます。、10年に、15年に茅ケ崎八王子の接続がをつなぐ 日記によれば、村人の要望を受けた菊太郎翁は、大正2年の3月と4月に八王子の東電事務所に出かけ6月には、その状況報告を有志者に行い、今後の方針も協議しています。 5年1月にも有志者と協議し、らちが明かない為か、4月には日本橋区材木町の東部逓信局へ陳情に出かけ、さらに5月には大沢村と共同で電線敷設の意見書を逓信大臣あてに作成しています。 陳情や意見書の成果によるものか、ようやく6年3月供給協定にたどり着きます。 5月17日には村議会で電柱設置が議決され、足掛け5年の歳月を経て8月には電線の架設を見ることになります。9月19日からは相原と橋本に電燈が灯ることになります。小山は遅れ、翌7年5月に電柱建ての検査が行われています。 ちなみに菊太郎宅では、8月1日に「広間及び玄関、中の間共用として奥の間3ヶ所各10燭、台所へ5燭Wほど」が設置されたとありますから、19日からは子供たちもランプ掃除から解放されたと思われます。約10相模原郷土懇話会 大貫 英明大野支店農家経営の変遷相沢日記 大正編⑧())(()())(My Home Town支店に飾られた赤茄子29日に、相甲電気との電力の赤茄子を提供いただいた加藤さんPo ta to10店頭を彩る“赤茄子”のご紹介

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